一人で記録する(モノローグ)

 医療と教育について、COVID-19を通して経験・観察・考えたことについての投稿を募集しています(1,000字程度)。個人情報保護や倫理的視点から内容を確認し、必要な場合は修正等をお願いした上で掲載します。投稿・お問い合わせはcovid19.autoethnography@gmail.comにお願いします。

11. 在宅ワークが明ける、という事について


日本国内におけるCOVID-19の新規感染者数が減少していく中、段階的ではありましたが緊急事態宣言が解除される事になりました。月が明けて6月1日になると駅のホームは人でごった返しており、お馴染みの通勤ラッシュが復活していました。そんな中、私の友人たちのSNSをみてみると


「在宅ワークが明けたから、今日から通勤再開します」


といった投稿が目立ちました。そのような投稿をみると、私は


「在宅ワークが明けるという事はどのような意味なのか?」


という事について疑問を感じていました。


私は看護師であり、患者に医療を提供するためには私の身体が病棟になくてはなりません。どれだけ念じても採血をすることはできず、想いを届けたとしてもオムツ交換をする事はできないのです。

政府は「新しい生活様式」というものを提唱しています1)。今までの生活、つまり満員電車に押し込められながら皆が同じ時間に会社に押し寄せるという社会構造に対して、それを改革する必要があるのではないかという事を提唱しているのです。


「在宅ワークが明ける」

という表現は、それはまるで「夜が明ける」と表現するように、再び元の生活に戻っていくという事を示唆しているのではないでしょうか。そして、それが多くの人々の心のなかに植え付けられている、という事が言えるのではないでしょうか。


緊急事態宣言が発令されて外出自粛が要請されていた中、在宅ワークやリモートワークによってできる事とできない事、実際に出社する事によるメリットとデメリットを、改めて感じた方も多いのではないでしょうか。

私が勤務している病院でもリモートワークや時差通勤を導入しはじめました。時短勤務自体は以前から存在していましたが、それを更に推し進める施策を取り始めています。病棟のマニュアル作成や会議等は自宅からもできるということで、一部リモートでの業務(通常の出勤と同じ扱い)としている所も出てきました。医療機関は例外という考え方を捨て、「新しい生活様式」を模索し始めています。


確かに、緊急事態宣言は解除されました。しかしそれは「必ずこれまでの生活に戻りなさい」という事を意味している訳ではありません。それと同時に「自粛期間でやってきた通り、全てオンラインで仕事をしなさい」という事とも違うと考えています。皆さんが働いている職場や、通っている学校は、いかがでしょうか?


【参考・引用文献】

1)厚生労働省『新しい生活様式』https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_newlifestyle.html(2020/06/03アクセス)



(2020年6月10日, 今井けい, 神奈川県病院勤務 看護師)






10. 目に見えない差別

 【COVID-19患者とはどのような人ですか?】

この問に対して、どのように答えるでしょうか。”COVID-19”という枕詞が付くだけで、まるでこの世には存在するはずがない得体のしれない存在のような印象を受けるのではないでしょうか。

私が冒頭の問に答えるとするならば

「SARS-CoV-2に感染した結果として肺炎を来した患者です」

とだけ答えるでしょう。COVID-19はどこまでもただの肺炎でしかなく、それ以上でも以下でもないと考えています。もちろん、肺炎の原因となる細菌・ウイルスが異なれば病態は異なりますが、肺炎である事に変わりありません。


【清拭をするの?】

私は神奈川県内の病院で勤務をしている看護師です。病院がCOVID-19患者が発生した場合に備えてCOVID-19患者への対応についてシミュレーションを行っていたとき、とある看護師から発せられた言葉です。肺炎となって容態が悪化した場合、またはそもそも浴室が病室に設置されていない医療機関では、シャワーを浴びる事ができなくなります。もし対象が「普通の患者」であれば、その看護師は「清拭をするの?」といった発言をしなかったのではないでしょうか。「COVID-19患者」であるという事が、看護師の看護実践に対する躊躇いとして表れたのではないでしょうか。

医療従事者への感染の確率を低くするために患者との接点を可能な限り少なくする事は必要なことですが、しかしそれは必要な看護実践を怠って良いという事とイコールではありません。

「清拭をするの?」という言葉は、ごく当たり前のように発せられたものでした。それも1人からではなく、複数の看護師から。私が「清拭をする時はどうしましょうか?」と発言したとき、「当たり前の看護実践」自体が異物なのではないかと感じさせられる空気が漂ったことを忘れることができません。

決して、そのような発言をした看護師が悪い訳ではありません。差別をしてしまうのは社会システムの問題であり、個々人の行動が問題という訳ではないからです。


【目に見えない差別】

ニュースで報じられているようなあからさまな差別が存在しているという訳ではありません。誰も「自分が差別をしている」という感覚を抱いている訳でもありません。しかし「肺炎患者」というカテゴリーの中から「COVID-19患者」という存在を切り取った上で別の存在として取り扱って差別している構図がそこには見え隠れします。

しかし、それは目に見えない。「仕方ないじゃないか、COVIDなんだもの。」と言ってしまえば片付いてしまうような、そんな小さな差別だ。小さなものを言語化し、分析をし、解決策を導く事は、極めて難しい。だから私は、この記事を書くことにしたのです。

「COVID-19患者とはどのような人ですか?」

そして、その人たちに対して

「目に見えない差別」

というものが実在しています。その「目に見えない差別」は、何がもたらしているのでしょうか?

差別的な行動・思考の奥底には、「目に見えない差別」を作り出している構造的な問題が存在していると考えています。今私達が目を向けるべきは、差別を生み出している社会システム上の問題なのではないでしょうか。

(2020年5月29日, 今井けい, 神奈川県病院勤務 看護師)




9.  COVID-19患者の生き辛さ

 外出自粛は続く。
 感染者は減少していく。


 一見すると平和そうに見えるこの状況の中で、肩身の狭い思いをしている人たちがいる。それは、COVID-19患者たちである。外出自粛が叫ばれている。”にも関わらず”感染した人に対する風当たりというものは凄まじいからだ。
人は1人だけで生きていける訳ではない。外出自粛を強いられている今、ほとんど全ての人はその事を強く思っているのではないだろうか。買い物に行かなければならない、どうしても仕事のために外出しなければならないという人から、家の中にいると自分の生命が脅かされてしまうという人もいる。”人と繋がるために”外出をしなければ、私達は生きていくことができないのだ。


 目線を医療現場へと向けてみると、そこには”Stay Home”に対するFobia、外出した人に対する憎悪に満ち溢れた医療従事者の姿がある。
「どうして外出したんだ」
「外出さえしなければこんな事にはならなかった」
 そんな想いを掲げ、”Stay Home!”と叫んでいる医療従事者は数え切れないほど存在している。自分たちでさえ”Stay Home”することができていないにも関わらず、である。
 ”Stay Home”という標語は、社会と医療従事者を守るためのセーフティーネットであったはずである。しかし今、”Stay Home”は武器となり、それを遵守していない人を弾圧するための法となりつつある。


 これらの要因に、私は”医療従事者の正義感”が関連しているのではないかと考えている。COVID-19患者の診療に当たり治療を提供するという事自体は、確かに正しいことである。患者が減り、重症患者が回復するという事は良いことである。
しかし、人は病気になる存在である。どれほど頑張っても病気になる人は存在し、COVID-19も例外ではない。なぜなら、人は1人では生きていくことはできず、社会ネットワークの中にいるおかげで生きられるからである。
 患者を減らそう、COVID-19を撲滅しよう、そんな行き過ぎた”正義感”が、COVID-19患者の生き辛さの要因の1つなのかもしれないと考えている。


 外出自粛はいつか終わる。
 感染者は増えるかもしれない。
 その時、あなたはどうしますか?


(2020年5月15日, 今井けい, 神奈川県病院勤務 看護師)

7.  医学部6回生の本音

 こんにちは、僕は現在医学部6回生です。

 本来なら今年の7月までは病院実習(いわゆるポリクリ)をしているはずが、covid-19の影響に伴い、3月4月は自宅にて自習、5月以降はオンライン実習になってしまいました。

 皆さんはこの時期どのようにお過ごしでしょうか?

 課題があるとはいえ、本来に比べ自由な時間が増えたという方が多いと思っています。

 せっかくの大量フリータイムなので普段は勉強しないような色々なことを学ぶ時間に使うようにしています。経済やコンピュータ等。

 しかし、ふと気がつくと、自分、流行しているcovid-19についてあまり考えていませんでした。

もう一年もしないうちに医者として勤務するというのに、covid-19について考えないのは如何なことかと普通に考えれば思うはずですが、どうしてなのでしょうか。

 今日はそれについて考えてみたいと思います。

 covid-19は大流行しているにもかかわらず曖昧な部分が多いと感じます。covid-19が曖昧というよりはそれにどう対策したらいいのかという人間側がもつ正解が曖昧です。論点はあげればキリがありません。

 そもそも感染収束か経済優先かどちらが正解なのでしょうか。PCR検査、抗体検査はどんどんやっていくべきなのでしょうか、限定するべきなのでしょうか。マスクは感染予防に効果があるのでしょうか、移さないという効果しかないのでしょうか。

 僕が普段判断をする時、例えば部活の運営をどうしていくか、初期研修はどこの病院に行けばいいのか等ですね。そういった場合様々な立場の人々の意見を聞いて決めるということは、理想と言われつつ中々できておりません。まあ2タイプの方にアドバイスを求めればいい方です。

 しかし、今はテレビやSNSで本当に様々な人が多種多様な意見を発信できる時代です。先日もTwitterで医師と県知事が議論をしているのを見かけました。医師の方が「医療現場の人は本当に大変なんです、皆さん本当に家にいてください、stay at homeでお願いします。」と発信すれば、「医療従事者は仕事がなくならないから簡単にそういうことを言う。日々の仕事に生活がかかっている人のことも考えて欲しい。」と反論されていました。これに関して、医療関係者ならば医師の意見に賛成しなくてはならないのかもしれませんが、僕はどちらが正しいのかわかりません。

 医師対医師で意見が違うなんて頻繁にあることです、しかもお互いにもっともそうなデータを引用しながら。こういうどちらか正しいのか判断がつかないような場面が、covid-19の様々な観点についてみられているのです。

これです、僕がcovid-19について考えるのをやめてしまう理由は。


 僕はずっと家にいても特に自分や家族が困るということはないので、延々stay at homeしつつ新しいことを学ぶようにしています。行動経済学や金融政策など専門分野外のことを吸収するのは結構楽しいです。正直今、曖昧なcovid-19について思いを巡らせる気にはなれない自分がいます。


 今(4月30日、緊急事態宣言2回目を出すかどうか政府が議論している時分)自分がこんなことを考えているということを記録しておいて、このコロナ禍が過ぎ去った後に見返してみようと思います。


(2020年5月10日, S, 奈良県立医科大学医学部医学科6回生)

6.  コロナウイルス感染症の蔓延を受けての大学院生の苦悩Ⅱ:アカデミア組織における人々の様相

③ アカデミアを取り巻くステークホルダーからの影響

 コロナウイルスの蔓延を受けて、その他小さな影響はアカデミアにも出始めている。例えば、試薬や機器の購入についてだ。

 

 通常、私たちの研究室には毎日複数業者(営業マン)が出入りして、研究室からの新たな試薬等の発注簿から受注を行なったり、受注を受けていた製品を研究室メンバーに納品したりしている。例えば、よくある消耗品だとその日の午前に発注したものを午後には持ってきてくれたり、今日注文したものが明日届いたりと実験がしやすいように業者さんはいつもとても親切に対応してくれる。

 

 今回の影響を受けて、試薬の業者さんは当然、テレワークを推奨したり対面営業の自粛といった対応をとり始めている。そうなると研究室には若干の不都合が生じ始める。業者さんの出入りが少なくなると、こうした受注から納品までにかかるタイムラグ(リードタイム)が大きくなり、実験スケジュールに多少の影響が出始めるのである。

 

 加えて、物流・ロジスティクス側の影響を業者さんが受けている。つまり、試薬を発注したとしても、業者さんがその製品を納品するまでに時間がかかってしまうといった影響も受けている。筆者も一度、これまでなら2,3日で届いていたような品が2週間くらいかかりますと言われ、打撃を受けた。

 

 その他、小さなところで私たち研究者を支えてくれている設備が閉鎖したりと影響が出始めた。食堂の土曜営業閉鎖に始まり、図書館・トレーニングジム・テニスコート・ラウンジと言った共同設備も先週くらいから一気に閉鎖が続いた。

それに伴ってではないだろうが、学生やスタッフの出入りも先週から一気に減ったように感じている。

 

 研究室のオフィスグリコなんかも止まり、小さなリフレッシュスペースが失われた気分だと呟いていた学生もいた。

 

 なお、現状私はこうした影響を仕方ないと受け止められている。単にアカデミアの状況を具体的に描写しようとしたまでである。総じて、モノや場所の使用・出入りが大きく制限を受け始めているものの、研究室メンバー(ヒト)は平常通り出入りしていると言ったところで、組織上の打撃はそれほど感じておらず、小さな小さな影響がだんだんと出始めている、というのが本日時点での現状だと思う。

 

④ その他

 その他、ここ1,2ヶ月で起きたCOVID-19関連で思っているところを3点ほど。

 

 ◆留学生が帰れなくなった◆

  3月に修士課程をめでたく修了したものの、そのまま帰れなくなった学生がいる。とてもおしゃべりが好きな明るいペルーからの留学生だ。

 

 彼女は2月に公聴会を修了しており、3月はほとんど帰国の準備や卒業旅行チックなことで楽しんで過ごしていて、研究室内のムードとしても「おめでとう」と言った雰囲気があった。

 

 ところが3月末、ペルー側が入国体制を制限したせいで彼女のフライトは急遽ストップとなった。フライトの直前の出来事であり、すでに2年間契約していた賃貸は契約満了で、4月からの彼女の住まいが突然失われるといったことがあった。帰国難民である。

 

 二週間くらい彼女は友人の家に居候などしていたが(当然その期間は感染リスクも高かっただろう。。外務省や大学は公共の宿か何かを手配すべきだったのでは?)、比較的迅速な大学側の対応により、現在は大学所有の学生寮に住まいを置いているとのことだ。

 

 帰国後は自身でフードビジネス関連の起業をしたいと意気込んでいた上、パートナーの住まいも南米と聞いているので残念で仕方がない。彼女が早く帰国できるようになることを祈っている。

 

 やることがなくなったという彼女は今日も、研究室にきて今度は新たな実験を立ち上げている。

 

 ◆謎の矛盾:研究して薬開発しろと言いながら研究所を封鎖せよと. ◆

 京都府から、京都大学は研究活動の自粛と言った「活動制限の要請」を受けている。一方で、世間様からすれば、大学や製薬会社は今回のCOVID-19に対するワクチンや新薬開発を大きく期待されているわけであって、安易に研究活動を停止するわけにはいかないといったラボも相当数あると思う。

 

 実際、本学でもこの新型コロナウイルスに関する研究を早々から立ち上げようとしている研究者がいたりと、使命感に根ざした実行力でもって社会貢献をしようとの雰囲気も感じられる。

 

 とても簡単に言ってしまうと、

「医薬品開発やウイルスの研究を進めてほしい」と言った意見と、

「活動制限するから研究するな」と言った意見とが渦巻いていて、

アカデミアや製薬会社はこうした板挟みに対処していかねばならないのだな、と少し感じている。

 

 個人的な意見としては、研究しないわけにはいかないと思う。

ただ、世の中こうした矛盾だらけだと思ったので、一つその構造を提示してみたまでである。


 ◆差別チックな話;電車通勤と車乗れよ◆ 

 一度、研究室の指導教官から、「電車通学している人は来ない方がいいんじゃないか」と釘を刺されたことがある。私が宇治市に引っ越す前、しないから電車通学していた時のことだ。

 

「それかA先生の車に乗せてもらって帰ったらどうだ?」なんてことも言われた。おそらく大学の都合上、緊急事態とはいえ、教員の車に学生が乗せてもらうと言ったことは今の時代かなりグレーなところだろう。(事故が起こった時の責任問題などがあるため)

 

 指導教官の言い分も十分すぎるほどわかる。電車はじめ、公共交通機関は、多くの人が密接にコンタクトを取る可能性が大きい上、つり革や手すりなど、複数の人が触れる可能性のある場所だって多い。ウイルス感染リスクが少し高まった場所であることは間違いない。

 

 その一方で、活動制限を「電車通学しているもの」に限定してしまうのは、大丈夫なのだろうか。これは「差別」ではなく、「区別」だと割り切られるものなのであろうか。きっと「発言者の意図」によるのだろうが、本当に気を遣ってくれているのか、それとも気に入らないから来て欲しくないのかは、発言している本人にしかわかりようがない。

 

 どこまでが緊急事態宣言による対応として是とされるのか、難しいところである。同時に、自身の取ろうとする発言・活動についても、その意図がなくても「これは差別なのか?」などと捉えられる可能性があることを十分に理解した上で、生活していくことが要求されているのだなと感じている。


(2020年4月27日, 秤谷隼世, 京都大学大学院医学研究科)

5.  コロナウイルス感染症の蔓延を受けての大学院生の苦悩Ⅰ:博士号取得と生活とキャリア

① 卒業 / 生活との闘い

◆博士課程の学生は卒業がかかっている

 

 自身の研究室にいる学生は多くが外国(アジアがメイン)からの留学生だ。いい論文を書かないと一流の研究者にはなれないし、そもそも京都大学なんていう日本の最高学府での学位に値しないと考える視座の高い学生も多く、普段から土日を問わず研究・実験に励む者も少なくない。 

 それでもやはり3, 4年といった期間で基礎研究で学位を得るのは難しく、半年〜1年くらい延長してしまうこともよくあることだ。そういった常日頃から厳しい環境の中、研究活動をもし止められようことなら、学生のメンタルに降りかかるプレッシャーたるやとても大きい。

 

 実は私自身が今年ちょうど博士課程最終学年で、夏から秋頃にかけて論文をsubmitしなければ卒業できないというとてつもなく大きな圧力のもと、日夜実験に励んでいる。「もしかすると研究所が強制閉鎖かもしれない」という言葉を大学の教授から聞いたときは、文字通り冷や汗をかいた。一応体裁的には連休明け5月6日までの活動自粛が多いようだが、現状を見ているとこれは延長されると見て間違いないだろう。

 

 そうなるとおそらく、一度閉鎖されればそれが最後、「いつ再開されるかわからない」といった状況で日夜過ごさねばならない。1,2週間の閉鎖であればギリギリ溜まっている執筆業務や次の実験へのアイディエーションに費やせようものの、論文を書くには1にも2にも実験データがなければ話にならない。そのような中で実験ができなくなることは、精神衛生上、非常に大きなダメージを受けることになることは容易に想定される。

 

 おそらく私以外にも同じような状況を抱えている学生は多いだろう。そうであれば、大学院生のメンタルヘルス的な問題は世間にスポットこそ浴びないものの、大きな大きな社会の闇となってアカデミアの中を蝕むことになるかもしれない。

私の研究室は依然として稼働しているためまだいいものの、どうやら他大学や本学内においても研究室の活動レベル縮小や閉鎖は徐々に広がっているようだ。

 

 他大学をみると、東京大学を皮切りに国内の有名大学が研究活動の縮小に切り出し、完全に学生の活動を制限するといったところもいくつか見受けられている。

 

 4月23日時点、試薬業者(研究所内を点々を巡回しているため、各研究室の事情に詳しい)と世間話をしたところによると、私たちの研究所内においても平常運転している研究室は私たちの研究室ともう一つだけだという。他の研究室はメンバーを2班に分けて活動を1/2にする(今週はA班、来週はB班みたいな)といった対応をとったり、もう教員以外は来校禁止にしていたりするようだ。

 

このような状況なので私も「いつ活動できなくなるのかわからない」といった心算で実験系を組んでいる。他の学生を見てみても、平時よりもむしろ活発に実験をし、「今のうちに少しでも進めておこう」といったような気概が感じられる。

 

いい悪いの話は抜きに、卒業のかかっている学生に対して、指導教官もやはり、きつくは「来るのをやめろ」とは言えないだろう。私自身も一度直接教官から自粛を要請するような言葉を投げかけられたが、卒業もかかっている旨を相談して以来はあまり何も言ってこなくなった。

◆経済事情:意外なのはお金が止まっていないこと

 生々しい話で恐縮だが、大学院生の生計に関する事情は深刻だ。私の知っている学生の中でも、生活保護受給していてもおかしくないような生計の中で勉学や研究に勤しむ学生が何人もいる。

 

 さて、世の中ではすでにリストラや減給といった経済活動に影響が出始めているものの、大学内部の給与体制は今のところ影響を受けていないようだ。

 

 幸い私も大学院生の身でありながら、リサーチアシスタントとして研究所から小さな雇用を受けており、これも生計を立てる上では貴重な収入源となっている。(私の場合、親からの扶養を外れて学生生活を営んでいるので親の経済支援はない。)他にも、高校生に対する出前授業なども行なって大学から収入を得ているが、こちらも今年はオンライン授業という形で対応するといったところで完全打ち切りにはならずに済みそうである。

 

※ただし、やはり研究所の閉鎖となると雇用も一時中止措置となることが想定されるので、やはり安心はできない。

 

 これらの大学からの収入が減収にならずに済みそうなのは大学院生活を営む上では非常に大きな励みとなる。(もちろん、欲を言えば自営業者などと同様の扱いで国からの補助なども受けられるようにしていただけるとありがたいとは思うが。)

 

② キャリアとの闘い

 アカデミアの中での人材(アカポス)事情はどうだろうか。

 今年卒業する私は将来の進路として、海外での研究員(ポスドク)を志している。

 

 渡航制限さえかかっている世の中なので想像に難くないだろうが、やはり海外ポスドクの就職は凍りついている。そこかしこで新規ポストの募集は打ち切りが続いている。日本の就活(新卒)事情に目を向けてみてわかるのと同じように、相当数のラボが新たなポスドク雇用を打ち切っている。(ちなみにポスドク雇用には約1,000万円かかると言われていて、その金額を拠出できるPI(主任研究者)はそもそもなかなかいない。)

 

 このような中で私は自身の将来を切り拓いていかねばならない。誰のせいでもないが、ただでさえ競争の激しいアカデミアポストにちゃんと腰を据えられるかという不安は以前にも増して大きな大きな重荷として降りかかってきているのは正直な気持ちだ。今は1年くらい回り道しても仕方ないと思い込むことで、気楽にやっていこうと思っているが、やはりそういうわけにもいかない事情もあるし、1度きりの人生思い通りになるに越したことはない。

 

 結論から言えば門が狭くなったところで「結局やるしかない」のであるが、「さて、どうしたものか」というのが本音である。

 

(2020年4月27日, 秤谷隼世, 京都大学大学院医学研究科)

4.  京都府宇治市:大学研究所でのコロナウイルス感染症対策の様相

 私は京都府内にある大学院医学研究科の学生で、普段は移植にかかわる技術を開発している。いわゆる基礎研究だ。俗世とは隔絶された田舎(宇治市)に拠点を置き、毎日研究室と家(Door to Door 徒歩5分)の往復をしている。メインキャンパスではないせいか、世間の騒ぎに比較してほとんどコロナウイルスの影響を受けずに過ごせていた。

 

 それが先週頃になってようやく、大学・研究所側の対応も始まり、私自身としても身をもって感じるところが出てくるようになった。そこで今回、「大学院生」という視点から、アカデミアや研究所といった特殊な世界における活動縮小・研究所封鎖等の対応の影響について省察してみたい。

 

0. 私たちの研究所におけるCOVID-19対策について

 産業を皮切りにことごとく活動を縮小・休止している中、私の所属する研究所だけは4月下旬に至るまで、ほとんど普段と何ら変わりのない対応で動いていた。

 

【対策の概要】

・ようやく今月中旬15日に研究所内での対策室が設置

18日に大学が活動レベル制限を引き上げ

先週(20-24日)になって研究室レベルで小さな活動制限が始まる

 研究所の方針としては、各研究室の行動指針はPI(教授)に委ねるとしている。

 

 世間の動きと比較してしまうと、私の所属する研究所が2週間くらい周回遅れで対応しているような所感だ。以下に詳細な研究所/ 研究室を取り巻く動きを過剰書きにしておく。興味のある人はご覧いただき、自身の組織と比較いただければ何かの参考になるのではないかとも思う。

 

【3月以降における私たちの研究所の具体的な動き】

- 3月3日 :

・トレーニングルーム(学生・スタッフらが利用できるジム)の使用禁止

・公共に開放しているハイブリッドスペースを、本学利用者のみに制限

- 3月4日:

新型コロナウイルスに対する本学の方針について(第4版)発行

・海外渡航に対する制限が厳格化

・試験への対応, 感染した時の対応などについて

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/events_news/office/soumu/news/2019/200304_1.html

- 3月6日:

新型コロナウイルスに対する本学の方針について(第5版)発行

・海外渡航に対する制限がさらに加わる

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/events_news/office/soumu/news/2019/200306_1.html

- 3月27日:

・大学院の副専攻課程における春学期4月分の授業の休講措置.

・新型コロナウイルスに対する本学の方針について(第5版)発行

→ 全世界に対する海外渡航の自粛要請

- 4月1日:生協食堂より、時差利用(部署ごとでの優先時間帯の設置)の推奨通知

- 4月2日

・例年実施している学生の健康診断を実施せずに、WEB問診のみの特別措置とする

・男性のシャワールーム, 女性の休養室の使用禁止

- 4月6日:共用施設(テニスコート・ラウンジ)の使用停止

- 4月10日:

・23日に予定されていた学位論文調査委員会(公聴会)が無期限延期となる

(社会人博士の学生への影響)

・研究室内で、液体窒素の充填に関する方針変換:大学構内への立ち入り禁止を想定し、細胞凍結用のタンクへ常に満充填の状態を保つようにする。

- 4月11日:研究室内で執り行っている定期ミーティングを全てZoomでの開催に切り替え

- 4月13日:公共に開放しているハイブリッドスペースを、完全閉鎖(当分の間)

- 4月15日:

・キャンパス内図書館の臨時休館

・月一で行われる実験廃棄物収集が中止される

◆研究所内でようやく対策室が設置される(下記のような要請が出される)

1) 所外訪問者の受け入れの自粛2) 不急不要の出張等の自粛3) 対面グループミーティングの自粛4) 学生の自宅待機・自宅学習 (PIの判断)5) 教職員のテレワークの推奨 (PIと化学研究所担当事務の了承が必要)

- 4月18日:

・生協食堂の土曜日閉店(5月6日まで)

◆全国的な緊急事態宣言の発令にともない、京都府からの「施設制限の要請」を受け、京都大学は「新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う活動制限のガイドライン」のレベルを2からレベル3に引き上げました。
レベル3の段階では、研究室やキャンパスの立入を禁止しているわけではないものの、下記のような事項が推奨される.

・極力外部や他人との接触を避けて、家でできることは家でするようにしてください・研究室での作業は、どうしても緊急性の高いもの、続けなければいけないことを優先し、その他はよく考えて行ってください。突然レベルが引き上げられることも予想されます。

 

このような通達がなされつつも、依然として研究室メンバーはいつも通り10:00頃に集まって, 19:00頃に帰宅みたいなペースは変わらず. つまり平常運転.

 

- 4月22日:キャンパスセキュリティ対策として出入り口がオートロック対応(夜間・休日対応)となる。つまり、学生証や職員証(IDカード)なしに出入りができなくなる。

- 4月23日:

・試薬, 機器の業者への発注方法の変更:発注・納品のとりまとめ(コンタクト量の削減)


(2020年4月27日, 秤谷隼世, 京都大学大学院医学研究科)

3.  暗くならなくていい

 大規模の総合病院で働いていて強く感じるのは、見かける人の表情が暗いことだ。
 コロナウイルスの一つとして2019年冬に新型コロナウイルス(SARS-CoV2)が発見され、その感染が世界で拡大している。各国はその感染拡大防止を掲げて地域や都市、国全体の”lockdown”を行い、日本でも4月7日に緊急事態宣言を7都府県へ出し、さらに4月16日にはその対象を全都道府県へと拡げた。具体的には、不要不急の外出を避けること、3つの密を避けること、を推奨している。
 それに従い各界で様々な努力がみられている。会社では必要最低限の通勤に抑えて自宅でのリモートワーク体制を敷かれたり、SNSでは芸能人やスポーツ選手などが「#STAYHOME」を支持し広く外出自粛を呼びかけたり、飲食店では持ち帰りや配達で気軽に自宅でお店の味を楽しめるサービスを提供しはじめたり。自宅待機を少しでも楽しめるようにと、挙げた取組以外でも様々な試みがみられている。
 それにも関わらず、世間に横たわる雰囲気の暗さは日に日に濃くなっているように感じる。各メディアやSNSで得られる情報は玉石混淆と見受けられるし、自宅待機が求められているだけ感染対策には個人の裁量大きくなるが、人によってその対策や考え方に幅があるといえよう。ごく最近発見された病原体であるがゆえ、明らかになっていることは非常に少ない。分からないからこそ、人は不安を感じ心配を募らせる。自分は今のところ元気ではあるけれど、何となく怖い。確実なことが自分の中でわかっていないからこそ人はどんどんと恐怖心を強めてしまうのだが、今回はその不確実性による漠然とした不安が日本社会全体で共有されているからこそ厄介だ。コロナは怖い、コロナに感染したのは自己責任だ、病院や医療関係者は危ない、といったような集団心理の姿が見え隠れする。入学式、入社式も延期ばかりで何も始まらない、家から出られない、会いたい人と会えない、といった非日常である日常生活への不満の吐け口が大衆心理につながっているように思う。
 医療現場でもその影響は大きい。医療関係者は自身の健康への懸念はさることながら、自分の家族を直接的ないし間接的に危険に晒すのではないかといった心配を抱えながら、患者の不安に対応したり様々な困難の中で患者のために最善を尽くす必要に迫られている。通常運転でもハードなのに、そこに自他の不安と心配がのしかかってくる。この疲労感は筆舌し難い。
 確かに、不安という感情は危機管理の上では非常に有利に働く。不安に感じるからこそ人はその原因を探り然るべき対策を講じる機会が得られる。しかし、必要以上に不安に思うことは人を臆病にする。不安を感じた対象から目を背けて何に対しても怖がってしまう。生活に必要な行動に対しても必要以上の恐怖を感じてしまい何をするにも億劫になり、体を動かさないことでさらに心が錆び付いてしまう。不安が不安を呼び、いつしか思考停止に行き着いてしまうのではないだろうか。
 不安を抱くことは生きる上で必要であり真っ当な感情だ。だが、必要以上に心配しなくて良いし、心配していても事態は好転しない。暗く落ち込んでいても何も変わらない。ここは一つ、自分が暗くなり過ぎていないか、振り返ってみてはどうだろう。

(2020年4月20日, 福岡有紗, 総合病院勤務医)

2.  covid-19感染者をバッシングするのはもうやめよう-「共感疲労」の問題-

 私の友人の研修医Aの経験を、個人情報が特定されない形で虚実織り交ぜて報告します。当人の了承は得ております。

 Aが勤務する総合病院の担当地域には、それまでcovid-19感染者が一人も出ていませんでした。しかしある時、その地域でついに一人目の感染者が出てしまいました。その感染者は、この自粛ムードの中、私用で国内の複数箇所を訪れていました。その経緯の一部は公表され、インターネット上ではバッシングの嵐、Aの勤務先の医療従事者も散々な言いようであったそうです。彼はそれを見聞きする中で感染者の方の二重の苦しみを思い、大変に辛く、仕事こそ続けているものの最近ふとしたことで涙が出てくるようになったと言います。

 接触機会の減少が、現段階で感染拡大を防ぐ最有力な手段である以上、外出自粛の勧告は当然のことでしょう。従って、「これから」遠方へ出かけようとしている方を周囲が止めるのは妥当なことだと思いますし、そうすべきだと思います。しかし、「すでに」感染してしまった方を皆で寄ってたかって、まるで犯罪者かのように過度に非難するのは自然なことでしょうか。過度の非難の言葉が突き刺さる刃の先は、非難される当人だけではないのです。

 Aは心理学でいう「共感疲労」に陥っていたと思われます。「共感疲労」とは他者の苦しみや悲しみに感情移入した結果、自分まで辛くなってしまうことです。冷静な批判を超えた人格否定などの心ない言葉は、当人だけでなく、私の友人Aのような心優しい人々の感情まで著しく傷つけるものです。このままでは、covid-19感染拡大の問題にあるいは匹敵するくらい、コロナ禍で心を病む人の問題が顕在化してくるのではないでしょうか。

 そもそも、感染者に対する過度の非難の根拠となっている情報も実に限られたものであり、感染者の方がどのような事情で感染したのかは実際には分からないのです。covid-19に感染した経緯を問うこと自体が不毛なことだと思います。

 個々人の意見とその表明は自由ではあります。しかし、世の中全体を生き辛いものにする、covid-19感染者へのバッシングはもう、やめませんか。甘い考えだと批判を受けることは覚悟の上ですが、賛同してくださる方もきっと、少なからずいらっしゃると信じています。

(2020年4月19日, 池尻達紀, 公立病院勤務研修医)

1. 私たちにとってのcovid-19

 私は地方公立病院に勤務する研修医です。

 私が大学受験に失敗した2011年の3月、東日本大震災が起こりました。当時、津波に流される家々などの惨事をテレビの画面越しにみて、大変に苦しく思いました。「もし医学生になっていたら、ボランティアに行けただろう」と悲しく、悔しく思ったことが今でも忘れられません。しかし、その思いは、翌年、私が医学生になった際に、当時まだ助けを必要としていた地域へボランティアへ行くという行動には結びつきませんでした。その程度の気持ちだったのだと後になって思い、なぜ医学生になってから災害地へ行かなかったのか、二重の後悔として自分の中に残ることとなりました。

 そして今、社会は別の形での惨事に見舞われています。駆け出しの医療者として勤務している現在、「今度こそ私は、社会のためになにができるか」ということを考えています。
 covid-19の感染拡大を阻止するために、「一市民として外出を控えること」、「日常の診療で感染防止につとめること」、「受診される方々に外出を控えるよう勧めること」を続けています。しかしながら、現場経験のすくない現在の私には、このような日常業務の範囲を超えてできることは多くはなく、無力感のようなものをまた、自分の中の鬱屈した思いとして抱く日々を過ごしていました。

 そんな時、ふと、大学時代の友人や先輩、後輩などは今どうしているだろうか、ということが気にかかりました。また、正解や終着点が見えづらいこの現状を、皆はどう捉えているのか、知恵を借りたい気持ちになりました。そして、自分のように、皆がcovid-19をどう見ているのか、知りたいと思う人もいるのではないか、それぞれにとってのcovid-19を記録し、共有することが、いま私たちにできることの一つではないかと考えました。このような経緯で、2019年4月より仲間とともに立ち上げていた任意団体「人と医療の研究室」を活用して、このホームページを作成することにしたのです。

 私たちは皆、歴史に残る公衆衛生上の危機的な時期を生きていると私は解釈しています。それぞれの方にとっての「covid-19」があるでしょう。しかし、日本中の全ての方々からご意見をいただくのは現実的に難しく、まずは自分の身の回りの医療系学生や若手医療者に焦点を絞って、ナラティブを蓄積していこうと考えました。
 この試みにどのような意義があるか定かではありませんが、いただいた記事の中にこの危機を乗り越えるヒントが隠れているかもしれませんし、資料として後に活かせるものとなるかもしれません。

 是非、心ある皆様からのご協力をお願い致します。

(2020年4月18日, 池尻達紀, 公立病院勤務研修医)